これまで2回にわたって、投資会社勤務者として、これから成長が期待できる産業や事業について書いてきた。前回、前々回とどちらかというと自然科学に近い分野の話をしてきた。文系の人からすると、あまり自分には馴染みがない世界の話しのように感じたかもしれない。今回はゴミ問題について書いていく。ビジネスの基本は「安く買って、高く売る」である。ゴミから金が生まれるようなビジネスを行うことができたら、一番理想的だ。そんな話を今日はしていきたい。
価値の低減する理由を考える
ゴミから金を作り出すなんてことが本当にできるのか。そう思う人は多くいるだろう。ゴミは何の役に立たないからゴミなのであり、何か用途があるなら、ゴミじゃないじゃんと思うかもしれない。しかし、前回のブログで話した排泄物発電なんかはまさにゴミが金になっている好例だ。ある人にとってはゴミでも、別の人にとってはお金を出してでも欲しいものなのかもしれないのだ。
今回はそんなゴミのなかでもフード・ロスについて取り上げたい。
フード・ロスってそもそも何?
フード・ロスとは文字通り、まだまだ食べられる食べ物が捨てられてしまうことを指す。まだ、食べられる物が、生産→加工→消費までの過程(サプライ・チェーン)で損なわれてしまうのだ。その割合は国や地域によって異なるものの、日本でも1割程度はフード・ロスが発生しているとの調査結果が出ている。
フード・ロスの中には、どうしても防げないものがあると思う。例えば収穫から出荷までの間で、果実がつぶれてしまって、市場に卸せないものがそうだ。また、私たちも日々の料理で捨てている野菜や果物の皮もあるフード・ロスとして考えられる。皮も食べられる!もったいない!といわれればその通りだが、ジャガイモの皮はやっぱりむきたいし、カボチャの皮なんて固くて食えたものではない。中には味が苦かったり、歯ごたえが悪かったりするために皮をむいてしまうものもあるだろう。それらは防げない、防ぎにくいフード・ロスだ。しかし、明らかに防げるフード・ロスも世の中にはあるように思う。その一つが外食業界で出るフード・ロスだ。
数百円の価値が1秒後に0円になる不思議な世界
飲食店、特にカフェなのでアルバイトをしたことがある人ならわかると思うが、1分前まで数百円で販売されていたパンやケーキなどが、閉店した瞬間にゴミ(0円)となる。お店の閉店時間と同時に、食べ物が腐るわけではないし、当然食べられなくなるわけでもない。なんなら冷蔵庫で冷やせば翌日以降でも少なくとも僕はなんの抵抗感なく食べられる。なのに、お店が閉店してしまって、その日に売ることができなくなり、翌日まで日持ちしないものは価値がなくなり、ゴミとして捨てられる。お店によってはアルバイトが持ち帰ったりすることもできるが、売れ残りがあまりにも多い場合にはゴミとして捨てざるを得ない。これは捨てている野菜や果物の皮以上にもったいと思わないだろうか。売れ残ったパンを1個10円でもいいから、売りさばけば、お金を出す人なんていくらでもいると思うのに、なぜか現在の飲食業界ではそれをしない。せいぜい閉店1時間前から2割引き~半額セールとするのが関の山だ。
閉店後に売った、もしくは譲った商品が万が一腐っていて食中毒にでもなったらお店の評判に響いてしまうとの懸念があるのかもしれないが、その辺は法整備や社内の規定などを変えれば対応できるように思うのだが、どうだろうか。例えば、閉店後に購入または受け取った食べ物による食中毒などは一切責任を負いませんと一言店の前に書いたり、譲る人に言って理解を求めたりすれば多くの問題は解決できるように思うのだが、そのような取り組みをしているお店に私は出会ったことがない。
また、日本のレストランではお持ち帰りができないのも不思議だ。私たちはお金を払って、レストランの料理を購入している。なのに、食べ残したものを持って帰ることができない。なぜなのだろうか。料理にお金を払っているのに、これでは料理の所有者はお店だということになってしまう。では私たちは何にお金を払っているのだろうか。予想以上に量が多くて残してしまうことは誰にだってあるだろう。女性やお子さんであればなおさらだ。家に持って帰ってあとでゆっくり食べたいとか、味わいたいという気持ちを消費者がもっていても、イートインしたもののお持ち帰りに対応をしているレストランを私はほとんど知らない。じゃあ残ったものをレストランが大事にしているかといえば、当然そんなことはなく、ただゴミ箱に捨てるだけなのだ。捨てるくらいなら持って帰らせてくれればいいのにといつも思う。これも後で食べた時に食中毒にでもなったら~というリスクを恐れているのかもしれないが、店外で食べたものに関する健康被害は一切責任を負わないと一筆書く、持って帰る人に理解してもらえば済む話な気がするのだが、一向にこういう取り組みが広まらないのはなぜなのだろうか。法規制があるのではあれば、業界全体で規制緩和を働きかけても良いと思うがそういった動きも少なくとも私が知る限りはない。
スーパーもそうだ。値下げシールを貼ったり、値下げ対応ができるレジや設備を整えたりするくらいならゴミにしちゃえばいい、くらいに思っているスーパーは非常に多い。
コンビニによる恵方巻やクリスマス・ケーキなど時限性イベント食品の大量発注・大量廃棄、最近の例でいえば、東京オリンピックでの弁当の大量廃棄など、日本人のもったいない精神はどこに行ってしまったのだと思うような悲惨な事例はいくらでもある。
私が今学生だったら、こういった飲食業におけるフード・ロスの原因ともし何らかの法規制がこの問題の原因となっているのであれば、その撤廃、改正ができないのかということについて研究をしてみたい。海外の事例なども調べ、比較をしてみたい。
フード・ロス解消のための取り組みをするくらいなら、ゴミにして捨てたほうが安上がり、という認識が飲食業界の間でまかり通ってしまっているのであれば、ごみにすることに罰金やコストを設け、企業に積極的にフード・ロス問題解決のためのインセンティブを与えるような法規制の整備を求めたい。
このような問題はいわゆる理系だけじゃなくて、文系の人でも十分に知恵を絞って取り組めるものだ。売れ残り商品が欲しいという人と、売れ残り商品を捌きたい企業とをマッチングできれば、まさにゴミがお金になる可能性があるのだ。
世の中の「当たり前」を疑う
このように、私たちの取り巻く世界を見渡せば、「なんでこんなもったいないことをしているのだろうか」、「なんでもっと工夫しないんだろう」と思えることは非常に多い。これまで3回に分けてこれからの世の中で成長する、発展すると思う業界や分野、そしてそれに関連する学問領域を取りあげたが、それらに共通しているのは、「既存のシステムや仕組みを疑う」ことと、「よりよい改善を図る」ことにある。
私は個人的に関心の高い農学分野に関連することに関してこれまでブログを書いてきたが、皆さんも自分の興味・関心に基づいて、世の中を見渡せば、いくらでも疑問の余地がある「当たり前とされていること」がある。
世の中の常識を疑い、既存の概念や仕組みに不思議さを見出し、学びに活かすということを続けていけば、つまらない、意味のないと思っている大学の講義も面白くない、より知的好奇心を満たすための有益な学びに時間を使うようになるのではないだろうか。