京大チャレンジ5日目 そもそもなぜこんなことをやっているのか


お盆期間中は例年開店休業状態に近いはずなのに、今年は幸か不幸か普通に忙しく、あんまりお盆感がないまま8月も中旬になってしまった。

そんな中、京大チャレンジをここにきて本格化。特段、外出自粛をしているわけではないが、世の中がこんな状態だとあんまりふらふら遊びにも行けない、行く気も失せるので、家でできることということで京大チャレンジを進めている今日この頃である。

京大チャレンジの良いところはまず趣味としてあまりお金がかからないところだ。僕の場合もともと持っている問題集を解く(無料)、裏紙や途中で使用しなくなったノートの有効利用・再利用(無料)、適度に疲れるため夜が良く寝られるということで良いこと尽くしだ。去年はYouTubeをこれでもかというくらい観てしまったり、ぼーっとどうでもいいネット・サーフィンに時間を費やししまったりしていたが、なんだかこっちのほうが心身ともに健全な気がしないでもない。

そんな僕の京大チャレンジのモチベーションだが、大きく分けて下記の3つだ。

1)ボケ防止

2)高校レベルの勉強内容くらい死ぬまで当たり前のようにできていたい

3)勉強がそもそも苦じゃない

一つ一つ勝手に理由を掘り下げてみる。

1)ボケ防止

30歳を超えるとスポーツ選手でもなかなかこれまで成績が出せなくなったり、同じプレーをするにも体力の消耗が激しかったりするなどだんだん衰えがみえて来るといわれる。しかし、何もこれはアスリートの運動能力の話だけではなく、我々一般人の頭のほうも確実に徐々に衰えてきていることだろう。

個人的にも特に20代後半あたりから、計算力も落ちたし、同じ英単語の意味を何度も調べてしまうなど、明らかに全盛期から能力が落ちてきているのを感じる。

当然、学生時代と今じゃ生活内容が違うし、その分仕事という別の部分に能力(脳力?)を使っているんだから当たり前じゃんといわれそうだが、個人的にはそういう問題ではない。昔できたことができなくなってくるのが怖いのだ。という意味で、ボケ防止として京大チャレンジを通じて、頭の衰えを少しでも抑えたい、遅くしたいというのが目的として非常に大きい。筋トレみたいなものだ。

2)高校レベルの勉強内容くらい死ぬまで当たり前のようにできていたい

父が数学好きだったのだが、僕が受験生だった時、数学だけは父に質問すると結構な確率で答えてくれたし、なんなら僕よりもできた。

昔は、まあそんなもんか。そりゃ数学習った人なら答えられるわな、なんて思っていたが、これは大きな間違いであったことが今ならわかる。数学にせよなんにせよ、やらなきゃどんどん公式は忘れていくし、解法パターンみたいなのも思い浮かばなくなるし、何よりも親しみ続けていないと問題をみるのも億劫になってくる。実際に解くのなんてもってのほかだ。

父のすごさがわかる。ということで僕も父のように自分の子供が大学受験をするまでは、どんな問題でも答えられるような親でありたい。この目標?として京大チャレンジをしている。父は数学だったが、私はどうせなら、英国数理社全部できたい。まあもちろん、理科と国語あたりはセンター・レベルまでかもしれんが、それでも少なくとも、「俺の屍を越えていくのは、そこそこ難しいぞ?」と思わせられる父の威厳を持ちたい。

まあ、その前に結婚して子供作らないと威厳もくそもないんだが、それはまた別の話。

3)勉強がそもそも苦じゃない、というか楽しい

先ほど、「問題をみるのも億劫」という話をしたが、僕はおそらくほかの人よりも億劫度合いがまだ浅い。最近仕事終わりに勉強のスケジュールを入れ始めたが、夏バテで21時に寝てしまった日を除けば、割とスムーズに習慣化できている気がする。そういう意味では元来勉強自体が苦じゃないといえるだろう。まあじゃなきゃバイトで塾講師もしないだろうし、仕事辞めてまで大学院もいかないだろうし、勉強好きな片鱗はこれまでも見せていたわけだが。

特に数学はノッテくると頭が逆にすっきりするというか、乾いた土壌に水がしみこむような気持ちよさを感じられるし、スポーツをした後のような心地よい疲労感も得られる。

ということで、いろいろな理由があるわけだが、どうせやるならなにか目的・目標を持ってやろうと思い、「京大チャレンジ」としている。目的や目標がないとなんだか、試合のない部活動のようになってしまってそれはそれで苦痛だ。

よく周りから「本当に京大を目指しているのか」と聞かれるが、やるからには「京大合格レベル」の知識を獲得・維持したいと思っているが、少なくとも今のところ受けるつもりはない。当たり前だが。仕事を続けながらさすがに今から学部生ができるとは思えんし、どうせ通うならちゃんと通いたいし。と勝手に受かったときの妄想をしているが、とにかく今のところは前述の通りボケ防止としての意味合いが強い。

それに働きながら行くなら博士号を取りたい。今更学士号とったところで趣味の領域だが、博士号を取れれば仕事にも役立つし、キャリアの幅も広がる。そういう意味では「京大大学院チャレンジ」もやれと友人に言われてしまった。それはそれで一理あるかもしれないので、近々なにかやるかもしれない。

2020年京大英語 大問2

なにはともあれ、備忘録のように書いたわけだが、前回の続きで2002年英語の大問2を振り返りたい。こちらも大人の事情で直接問題文や模範解答を載せることはできないというか自主規制するが、こちらにあまりそういう大人の事情を勘案していない人のサイトがあったので、そちらを参考までに載せておく。

というわけで大問2の僕の回答だ。

(1)音楽と記号の持つ機能のパフォーマンスについて書いた論文の中で、研究者はモーツァルトの楽曲を10分程度聴いただけでも、脳の活動を10分から15分高める効果があると報告した。この発見は学習に及ぼす音楽の良い影響に関する現在の関心の多くを呼び起こす契機となった

(2)その後、モーツァルトは音楽への情熱を爆発させ、幾何学の基礎を学んだ彼は家中を書きなぐった数式で埋め尽くした。

(3)簡潔に言うと、高度な精神作用を要する数学や音楽などは、共通の、確立された、一時的な記号言語を用いることで、子供を含めて人々はこの共通したコミュニケーションの結びつきを通じて一見無関係に見える学問を行うことができるようになると研究者は主張している。

(4)コーラスやオーケストラでこのような学習が起きた時は、全体的な効果はより大きい。コミュニティーへの帰属意識を養い、言語学習を助け、数学や化学への理解力を深め、過去の偉大な音楽に触れる機会をもたらすような学校の教科がほかにあるだろうか。

ちょっと満点狙いで慎重にやりすぎてしまったのだが、(4)はそこそこうまく訳せた。(1)も”spatial”(「空間把握能力」)を「記号の持つ機能」と誤訳してしまったこと以外はまずまずの出来栄えだ。

しかし”spatial”なんて単語、高校で習ったっけな?

(2)と(3)は部分部分減点対象となるところがありそうだが、どうだろうか。

結局一人で自給自足で採点していても、実際客観的にみたら何点もらえるのかが分からないのが英語というか文系科目の難しいところだ。数学みたいに明確な正解があると採点しやすいんだが、そうじゃないとどうしても自己満足なものになってしまう。うーん、悩みどころだ。

次回、大問3(英作文)をやってみて2002年の総評を書いていきたい。もはや20年前(!)の京大の過去問のレビューを令和の時代にしている人間がいるだろうか、いやいない。(反語)


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