4月1日、木曜日
午前6時、起床。
普段の仕事の時よりも1時間近く早く起床。年度初めということで、本来であればお客さんへの挨拶回りなどで忙しい時期なのかもしれないが、コロナのため特にそういった季節性イベントもなく、むしろ若干暇なほどなので、今日のためにいろいろ準備してきたことに、思う存分時間を費やすことができる。
このブログの立ち上げ当初からやってみたかったこと、「受験生インタビュー」である。「受験」なんて、人によっては振り返りたくも、思い出したくもない苦々しいものかもしれない。僕自身では、受験からもう10年以上時間が経過しているが、今でも受験に対する思い入れがある。受験にはなにか人を惹きつけるものを感じてしまうのだ。
10人の受験生がいれば、そこには10のドラマがある。それは喜劇かもしれないし、悲劇かもしれない。成長記となった人もいれば、一発逆転劇の主役を演じた人もいるかもしれない。
受験・勉強に思い入れがあるなんて稀有な人間は、もしかしたら世界中に僕だけなのかもしれない。しかし、受験合格体験記を作ってみたいという思いは、これまでずっと温めていたアイディアである。
そんな中、去年はコロナで卒業式も入学式も軒並み中止、インタビューどころかそもそも大学キャンパスが閉鎖されるという事態になり、この企画のすべてが流れてしまった。
2020年は受験生にとって、これまでの誰も経験したこともないような受験環境だっただろう。緊急事態宣言下で学校も塾も一時対面授業ができなくなり、勉強以前に普段の生活でさえままならなかったのではないか。そのような中、今年は大学入学共通テスト初年度。受験生にとってこの上なく困難な中での受験だっただろう。コロナ禍の受験生は何を考え、どう受験に臨んだのか。その物語を紡いでみたいと思った。
っと、かっこよく書くと上の通りなのだが、正直不安しかない企画であった。そもそもどうやってインタビューをすればいいんだ?どう協力してくれる人と接触する?何を聞けばいいう?どうやってそれを形にすればいいんだ?と行動を起こす第一歩を踏み出さないための言い訳はいくらでもあった。実際、長らく温めてきた企画とはいっても、具体的な計画を立てたのは3日前である。取材協力のチラシが出来上がったのが2日前。こんなのうまくいくのか?という不安に打ち勝って、行動を起こしたものの、ドキドキしながら、当日は当たって砕けろの精神で、久しぶりに母校、慶應大学へと向かう。
7時半ごろ
電車に乗る。去年の3月から完全在宅勤務のため、久しぶりに通勤電車というものに乗った。下り方向なので、あまり混んでないかな?と淡い期待を抱いていたが、めちゃくちゃ混んでいる。ソーシャル・ディスタンスなんてものはない。半径2m内に余裕で10人はいる。全員マスクをしているとは言うものの、なんとも居心地の悪い空間である。足も踏まれた。
8時半ごろ、日吉駅到着。同志と合流。
9時開場、式典は10時からだというのに、割とすでに人がちらほらいる。
ビラ配りなんて学生のころバイトで2~3回したっきりなので、非常に緊張する。日々数百億円受託できるかどうかのプレゼンをしているが、そんなものとは比べ物にならないほどビラ配りのほうが緊張する。それでいいのか俺のサラリーマン人生。
緊張ほぐしでとりあえずコンビニに行き、お茶を買う。
そして、いざビラ配り開始。
「すみませ~ん。入学生の方ですか?あっ、入学おめでとうございます!僕たち決して怪しい人間ではないんですけど、合格者インタビューというのをやっていて、もしよければご協力いただけるかなと思いまして~」
といって近づいてくるアラサーおじさんが2人。こんな怪しい2人組がほかにいるだろうか。
若干というか全力で引かれつつ、なんとかビラを受け取ってくれる新入生たち。神かな?
銀玉周辺で声かけつつビラを数枚配る。さすがに拒否るのが怖いのか、みんな受け取ってくれるのだが、効率が悪い。当初の計画通り、交差点を渡って、銀杏並木の前でほかのビラ配り業者の人に混じってどんどん配っていこう、と方針転換。
8時45分ごろ
新入生の数も増えてきた。日吉駅は新品のスーツたちで溢れかえり、交差点を渡ってくる人も増えてきた。人並に向かってビラを差し出しまくる。そう。受験生インタビューの前に、今日は「人はビラをもらってくれるのか」という社会実験の日でもあるのだ。
この社会実験でわかったことがいくつかある。
1)85%の人間はビラを受け取ってくれない。というかビラ配りの人間など視界にそもそも入っていない。
2)15%の人間はどんなビラでも受け取ってくれる、神である。紙の神である。ビラだけに。
3)15%というのはビラを配っている人間の感覚であり、おそらく実際は5%くらい。
4)ビラは配るのではなく、ビラを受け取ってくれる人の左手に添えるのである。安西先生、、、バスケが、、、したいです作戦だ。
5)ビラ配りの必勝法はほかの業者のビラを受け取った人に的を絞ってビラを添えることである。これだけで、格段にビラを配る確率を上げることができる。
米系投資会社に勤める俺にとってこの経験は今後活きることはあるのだろうか。
最初はびくびくして挙動不審だったが、だんだん上記の通りコツをつかんだ僕はどんどんビラを捌くことができた。人間やればできる。成長を続ける31歳がそこにはいた。
予想していたよりも早めに午前の部(入学式は午前・午後の2回に分かれて行われるのだ)の分のビラを配ることができた。めでたしめでたし。
ということで、協生館1階のタリーズで休憩兼本業に取り掛かる。
タリーズに同志と着席し、注文したコーヒーを待っている最中にさっそく携帯が鳴る。恐る恐る画面をみる。
「バイトやりたいです」
マジ?幸先良すぎじゃね?もしかしてめっちゃインタビュー志願者きちゃう?
同志と喜びを分かち合い、とりあえず午前の部の式典が終わる11時すぎにまた連絡をしてくれと言って、しばし本業。
思うに、開場前の早い時間に来た子達に配る→早めに着席して、暇なのでもらったチラシをみてくれる→連絡くれる
というポジティブなフローが出来上がったのではないかと分析。午後も早めに配ろうと計画を立てる。
11時まで本業に勤しむもマジでやること少ない。よかった。結局午前の部参加者で連絡をくれたのはこの1組だけであった。幸先よかったため、もう少し期待したのだが、まあこんなもんか。
11時
式典が終わりましたとの連絡。タリーズに来てもらいインタビュー開始。
インタビューの詳細は別の機会にしっかりとまとめるのでここでは割愛する。
インタビューと簡単にいっても、こちらも人生はじめての経験。若い子と話すコミュ力は塾講時代に鍛えたのでそこそこ自信はあったが、彼らの警戒心を解くことができるだろうか、面白い話を引き出せるだろうか、せっかく参加してくれる子たちに有意義な時間だと思ってもらえるだろうか。
不安でいっぱいだった。2人来てくれたのだが、まあ2人の名前は間違えるわ、事前に準備した質問は忘れるわ、ノートにメモを取っているが、自分で書いた字が読めないわ、反省点はいくらでもある。しかし何とか同志のサポートもあり、楽しい時間を過ごすことができた。
しかも、来てくれた子たちが、ドンピシャで狙っていたような理想的な取材対象だった。2人とも受験に対する自分自身の哲学を持っていて、深く物事を考えている。各科目の対策方法、コロナ禍における受験生活の計画の立て方、自分なりの勉強の工夫。予定していた60分を大幅に超えて話が盛り上がった。
これもまた、「(怪しいと思われる)チラシをみて、取材協力をしてくれる子とはどんな子なのか」という社会実験であった。
この社会実験に対する僕なりの考察は下記の通りだ。
1)そもそもビラを受け取ってくれる時点で、だいぶ協力的な子に絞られる。(関心がなければ最初からビラなんか受け取らない)
2)ビラを受け取ってくれて、しかも連絡までしてくれた子はめちゃくちゃ協力的。
3)「合格体験記」というテーマで協力してくれているわけだが、能動的に取材協力を買って出てくれている彼らは、前述の通り、自分なりの勉強哲学・受験物語を持っている。
12時半過ぎに解散。
僕自身の仕事哲学「いい仕事をしてくれた人には、惜しみなく報酬を払う」ということで、取材協力をしてくれたこの2人にはチラシに書いてある額以上をお支払い。また、もしかしたらこれからも長期的な関係を築けるのかもしれないと期待している。
13時過ぎ、ひようらのラーメン屋で一服。
すでに午後の部の入学生らが結構うろうろしている。午前の部のインタビューがめちゃくちゃうまく行ったので、これは後半も期待がもてそうだ。
替え玉無料の豚骨ラーメンを食べたわけだが、これが結構胃に来る。時々こういう歳を感じるできごとがあり、アラサーであることを実感する。
13時半ごろ、再び交差点を渡った先でビラ配り開始。
午前の部で学んだことを活かし、今回も早急に100枚配り終えるように積極的に声出し。
ところがどっこい、午後の部の人らに対しては大苦戦。全然受け取ってくれない。左手に添えるだけという「安西先生、バスケが、、戦法」もなかなか通じず。というか左手を出してくれないので添えられない。学部的な特徴なのかもしれないが、午後の部の参加者は明らかに午前の部の参加者とは雰囲気が違った。18、19の若者を前に怖気づく31歳の姿がそこにはあった。
ビラ配り社会実験(午後の部)での学びは下記の通り。
1)最初はライバル関係だった、そのほかのビラ配りの人らとだんだん連帯意識が芽生えてくる。名前も顔も知らない者同士だが、「ビラを配る」という使命を共有する運命共同体となり、徐々に友情が築かれていく。
2)さっきまで笑顔でビラ配りをしていたのに、新入生が立ち去ると、「んだよ!ビラくらい受け取れよ、くそが!」と暴言を吐きまくる。ビラ配りは人の性格を狂わせるのだ。
3)結局2時過ぎまで配る努力をするも、午後の部は100枚掃ききれず。34枚余る展開に。慶應の入学式でビラを配る場合は、午前の部7割、午後の部3割くらいの配分で配るほうが良い。
協生館のHUBに移動し、協力者からの連絡を待つ。ビラ配りの時点でだいぶ手ごたえがなかったので、期待薄ではあるが、一応式典が終わる4時までは待つことに。途中3時~4時で本業関係の電話会議があったので、そちらに参加。ビラ配りよりもなんと楽なことか。
4時過ぎ
待ち続けるが、連絡は来ず。
すでに入学生たちもだいぶ帰り始めており、ここからの取材協力連絡はないと判断。5時前に同志と別れ、5時半からの本業電話会議に参加しつつ、帰宅の途につく。
6時過ぎに帰宅。
久しぶりに人の多いところにいたせいか、疲労感がすごかったが、非常に充実した1日であった。僕らの活動の大原則、「今日を“ワクワク”して生きていく」にふさわしい日となった。
ビラを作る→ビラを配る→ビラの反応を待つ→協力者にインタビューをする
文字にするとこれだけかもしれないが、ここ数日間はワクワクとドキドキで溢れ、「こんなことしてあほかな~」と不安に思いつつも、実際に一歩を踏み出し、行動に移したことで多くのことを学び、素晴らしい若人と知り合うことができた。「案ずるより産むが易し」とはまさにこのことで、自分のcomfort zoneを脱することの難しさ、そしてその楽しさを改めて実感した。
そして7時半過ぎ。
携帯をみると、通知が1件。画面を開くとひとこと、こう書かれていた。
「受験体験談ってまだ募集してますでしょうか?」
ワクワクはこれからも続く。