こんにちは
一ヶ月ほど間が空いてしまいました。申し訳ございません。なんだかんだ新年度開始から(ありがたいことに)非常に忙しく、なかなか書く意欲(というか体力)が出ませんでした。4月中旬には久しぶりの米国出張があり、日々の業務に忙殺されていなか、新鮮な空気を吸うことができました。
ということで、今回は1週間の米国出張で早速アメリカかぶれになった私の米国出張の土産話をご紹介します。今回は「日米のマナーに関する違い」について書いていきたいと思います。
自分のやりたいことをやる
まず、なんのためにこの時期にわざわざアメリカに行ったのかと思うと、お客さんニーズとかではなく会社の研修に参加するためです。中間管理職(初級)みたいな研修ということで、基本的には米国本社のおじさんおばさんが中心なんですが、ありがたいことに極東のローカル採用社員である僕にも研修参加のお声がかかり、いかせていただきました。
ということで、基本的には朝から晩まで、「リーダーシップとはなにか」、とか、「潜在的なバイアス(偏見)をなくすためには」、「業務の効率化方法」など、いくつかのテーマに沿ったセッションを外部講師を招いて話してもらう、というような内容でした。
各セッションの内容も興味深かったのですが、セッションを受ける社員の受講態度および講師の人のスタイルがすごく印象に残りました。
まず、参加している社員の立ち振る舞いが非常に自由なんです。講義中も席立ってコーヒー取りに行くやつはいるし、トイレ行くやつ、携帯いじるやつ、ベーグルとかお菓子ボリボリ食うやつ、など本当に自由。トイレ行くやつもドアをバーンって開けて、ドーンって閉じて行く。講義中だから静かにしなくちゃ、とか講師の人に気を遣わなくちゃとか一切なく、やりたいことをやる、という感じ。いきなり席を立って、伸びしたり、ストレッチしだすやつがいたり、もうフリースタイル状態。
講師の人も、おい、なに飯食ってんだ!とか、退室するときは音立てんなとか言うこともなく、なんなら、皆さん座ってるだけだと肩が凝るから適宜、立って、ストレッチしてくださいね、なんて言っちゃう始末。それが、別に嫌味とか建前で言ってるわけじゃなく、本当に聴いてる方が何やってても(他人の迷惑にならない限り)なにも文句言わない感じ。
久しぶりにこういうアメリカンなスタイルに接して、最初はめちゃくちゃ面食らって、なんだこいつら!?って感じだったんですが、よくよくみてるとみんなちゃんと発言しているし、グループ・ディスカッションも盛り上がるし、ノートにメモはするし(板書とかはない)、講義終わっても、社員同士で議論したり、講師に質問しにいったり、とても積極的に講義を受けているわけです。
翻って僕はどうだったかと思い返すと、なんとお行儀の良い聴講生だったことでしょう。コーヒーすするときも音を立てないようにし、トイレは休憩時間まで我慢をし、もちろん携帯をいじることもしない。でも、グループ・ディスカッションではお前はどう思う?って振られないとなかなか発言できない、講義中も質問とか感想とか言えない、ノートも取らない、講義の後も終わったことにホッとしてしまい、特に他の人と追加で議論することもない。
もちろん、文化的に日本人は手を挙げて、先生に指されるまで発言しないとか、基本的に座学ばかりであまりグループ・ディスカッションをする機会がないとか色々言い訳はできると思いますが、冷静に自分と他人の行動をみても、お恥ずかしながらおそらく一番研修参加費がかかっている僕よりもよっぽど他の人らのほうが、「このセッションから何かを得よう・学ぼう」という意識が強かったように思います。
講師の方も、自分が話している途中で社員が遮って発言しても、ちゃんと答えるし、「まだ話してる途中だろうが!」みたいな感じにはならないわけです。シーンとした教室で聴いてるのか聴いてないのかよくわからない相手にただ一方的に話し続ける日本の講義と比べればよっぽど活発に相互交流があるわけです。
人の目を気にしすぎている日本人
最初は社員の受講態度に面食らった僕ですが、だんだん「失礼ってなんだろう」って考えるようになっちゃいました。だって、彼らって別に誰かに迷惑かけているわけでもないし、講師の人も悪い気持ちになってないんですよね。打てば響く感じのほうが、よっぽどやりがいありますよね。講師側だったら。
コーヒー飲みたいから飲む、小腹が空いたから軽食を食べる、トイレに行きたいから行く、自分のやりたいことをやり、満たされているからこそ、講義に集中できて、しっかり話を聞いたり、考えをまとめて発言したりすることができるのではないかと思うようになりました。
逆に僕は、のどが渇いたな、とか、トイレ行きたいな、休憩時間まだかな、みたいな考えが常に頭の20%くらいを占めていたわけです。余計なこと考えていて、講義をまともに聞いてなかったときが多々あったように思います。
一見、お行儀の良い日本人のマナーですが、その多くは他人の目を気にしすぎているからこそ生じる不要なものであり、実は物事の本質に目を向ける機会を自分から少なくしているのではないかと思うようになりました。そんなわけで、研修2日目後半くらいからは僕も、少し自分の本能に忠実にいきつつ、頑張ってグループ・ディスカッションで積極的に発言したり、休み時間中も話したりするようにしてみました。まあ全然足りなかったかと思いますが。
このような状況は何も講義中だけではありません。
研修のある日は朝昼晩すべて社員交流会みたいな感じで、みんなで一堂に会して食事をとるんですけど、老若男女、国籍も年齢も所属部署も階級も違う社員が集まるわけですが、普通に会話は”I”と”You”なわけですよ。年上だからとか、上席だからとか、本社の人間だからとか、少なくとも研修中にアホみたいな階級社会はないわけです。ビュッフェもあの人が取り終えるまで、待たなくちゃいけないとか、グラスが空いたら、飲み物のおかわりを聞くとか病的に細かい気遣いをしなくていいから、普通に会話に集中できるんですよ。
そういうフラットな関係が有るからこそ、みんな議論に集中できるし、意見がいえるし、アイディアが出るのではないかと痛感しました。
手段が目的となってしまった日本のマナー
なぜ、マナーが重要かと思うと、相互に物事を円滑に進めるため、だと思います。講義中大騒ぎしていたら、人の迷惑になりますし、講義の進行ができなくなりますし、自分の評価も落ちるわけです。
だから最低限のマナー(節度のある態度)を身につけることは重要だと思います。みんながマナーを持つことで物事が円滑に進みますよね。
当たり前ですが、アメリカでも一見みんなやりたい放題しているようで別に人の迷惑をしたり、講義の進行を妨げたりするようなことはしていません。質問しまくる人もいますが、あまり時間を取らないように気をつけていますし、言いたいことが長くなりそうな場合は講義の後に個別に話に行ってるわけです。
日本の場合、物事を円滑に進めるためのマナーに囚われすぎて逆に本来の目的(講義をしっかりと聞き、他人と意見をシェアして、見聞を深める)の達成ができなくなってしまっているように思います。お行儀よくしてるけど、頭の中では全然違うこと考えているとか、発言すると失礼かな?と思いすぎて、グループ・ディスカッションでも何もいなくなってしまうとか。会食中も料理の取り分けとかグラスの空き具合に注意をしすぎてしまって、話がぜんぜん頭に入ってこないとか。
物事を円滑に進めることで物事の達成を図るためのマナーが、とりあえず見た目だけのマナーを取り繕っておけば良い、みたいになってしまっているように思えてなりません。
外人は野蛮!日本人はマナーが良い!世界が感動!みたいな印象を受けることが多いですが、マナーってなんだろう、外人の言動って本当に野蛮なのかな?とか色々と考えさせられる一週間となりました。