これを読んでいる人の中には、将来留学したいと考えている人がいるかもしれない。一概に留学といっても、春休みや夏休みを利用して、海外の語学学校へ行く短期留学もあれば、在籍している大学と協定を結んでいる留学先へ行く交換留学、そもそも日本の高校卒業後直接海外の大学へ行く正規留学など方法は様々だ。今回から数回に分けて僕自身の経験、キャリアから日本の大学の良いところと悪いところ、海外の大学の良いところと悪いところの両面をみていきながら海外大学院留学を勧める理由を説明したい。
何をするにも自由な日本の大学
大学全入時代と呼ばれて久しいが、確かにどこでもいいからただ大学に行くということだけを考えれば今ほど行きやすい時代はないだろう。かつては大卒=エリートという等式が成り立つような時代もあったと思うが、今やそんな価値観はどこにも残っていない。大学に入ってからbe動詞から学びなおす大学もあれば、分数の計算ができない学生がいるなど、目も当てられない惨状の学校も多くあることだろう。
ただし、そこそこのレベルの大学であればもちろんそのようなことはなく、しっかりと大学レベルの講義がなされていると思う(そう願いたい)。
日本の大学は「入るのは難しいが、出るのは簡単」だとよく言われる。もちろん日本全国津々浦々いろいろな大学や学部、学科があるので、一概にそうとは思わないが、自分の経験上、確かに入るのには苦労したが、入学後卒業まで大学受験並みかそれ以上の苦労をしたかと考えるとそんなことはない。
理系は実験に、課題に、大学入学後も忙しくしているイメージがあるが、私を含め文系であれば、楽をしようと思えばいくらでも楽をできる気がする。
楽単と呼ばれる、正直試験日以外講義に出なくても、最低限の評価で単位をもらえる講義なんていくらでもあるし、これを読んでいる君たちもこの辺の情報網はしっかりと持っていることだろう。
僕は貧しい大学生だった。それは家が貧乏だとか、自分で学費を払っているだとかいう苦学生という意味ではなく、せっかく学費を払っているのに(払っているのは親であるが)、講義をさぼるなんてもったいない!そもそも苦労して大学に入ったのに、講義を受けないんだったら受験生時代の苦労はなんだったんだ!と思う性格だったので、いわゆる楽単を取ったことがない。シラバスをみて、面白そうだなと思う講義が結果的には楽単であったということはあったが、楽単だから取ったという講義は4年間で1つもない。卒業単位は3年生修了時点で取っていたし、4年生も交換留学を途中しているので厳密ではないが、フル単申請している。単位申請してない講義に出る(いわゆる「潜る」)こともしばしばあった。こんな大学生活を送っていたわけだから、当然遊ぶ友達なんてほとんどいなかった。大学時代の友人の数なんて片手で数えられるくらいしかいない。
それでも僕は大学時代が人生で一番楽しかった。こんなに知的好奇心が満たされるような体験はそれまでも、それからの人生でも体験したことがない。我ながら気持ち悪い言い方だが毎日の講義が楽しみで仕方がなかった。そんな変わった、今なら「意識高い系」と呼ばれるような学生だっただろう。
そんな痛い学生だった私からみると周りの学生はびっくりするほど勉強しなかった。そもそも講義どころか大学に来る人の少なさに驚いた。ゴールデンウイークを超えればキャンパスにいる学生数が半減したといっても過言ではない。全講義皆勤賞だったのでわかるが、大体最初の1,2回だけ適当に出席し、そのあとは試験範囲や試験形式を伝える最後の1、2講義だけまた出てきて、適当に試験やレポートをこなし、評価Cで単位を取る。こんな学生が大半だった。同じ高校から同じ大学に進んだ友人なんかをみてもほぼ例外なくこんな感じで、高校時代一生懸命勉強している彼らを知っていた僕としては、毎日大学にも来ないで遊び三昧、バイト三昧、旅行三昧だった彼をみるのは羨ましい部分もあったが、残念に思うことのほうが多かった。
とにかく、日本の大学は何をするにも自由だ。講義に出るも自由、出ないも自由。遊ぶも自由、学ぶも自由。僕自身の経験なので、個別具体的な反例なんかいくらでも出てくるであろうが、どこも文系は大同小異このような状況なのではないかと思う。
日本の大学の良い点、悪い点
良い点
・課題や宿題があまりないので、何をするにも自由な時間が多くある。
・自由な時間は遊びに使う人もいれば、めちゃくちゃ勉強に使う人もいる。なにに使うも自由だし、学ぼうと思えば、いくらでも学校はその機会を与えてくれる。
悪い点
・自由すぎて、道を見失う学生も多い。遊びにせよ、学びにせよ、時間を有意義に使うべきであるが、大半の学生は無駄に時間を過ごし、何も残らない4年間を送ることになる。
・口うるさく勉強しろといわれなくなるので、大学4年間で大学入学時よりもあほになっている学生も多い。
結論
大学生の「自由さ」、というのをどう使うかによって、良いほうに転ぶか、悪いほうに転ぶか、明確に分かれることになる。