なんかまだ週始めなのに異様に疲れている。なんなんだ、これは。
さて、これまで4回に分けて、社畜から就活生に向けたこれからの理想の職場の特徴について書いてきた。働き方改革が叫ばれる中、コロナ禍も発生し、これまでの社会や仕事のあり方は大きく変わった。しかし、残念ながらそれは一部の革新企業だけであり、多くの伝統的企業()再びコロナ禍前の状態に戻ろうとしている。そんな中、これまで4回に分けて、私が推奨する「これからイケてる企業の特徴」を挙げてきた。
そしてファイナルとなる今回おすすめする企業は「大学での学びを評価している企業」である。こうやってみると、段々と議論が制度的なものから本質的なものに深堀りされていることに気づくだろう。
では「大学での学びを評価している企業」をおすすめする理由について書いていこう。
大学時代、勉強以外を頑張るやつら
就職活動の鉄板質問に「大学時代最も力を入れたことはなにか」というものがある。いわゆる「ガクチカ」と呼ばれるものだ。まあ大体において就活生が答えるのは、バイト、部活、サークル、ボランティア辺りだろうか。
浅い、浅いよ、君たち。大学生がなんで貴重な学生時代にバイトに精を出すんだい?(クリロナ風)
部活もサークルもボランティアも、勉学に比べたらおまけみたいなものではないか。
ということで、僕はいつも「勉強です」と就活の面接では答えていた。なぜなら僕は本当に大学時代に勉強と言うか学問に目覚めて、正直高校時代や受験時代とは比べ物にならないくらい勉強ばかりしていたからだ。紛れもなく、僕の「ガクチカ」は勉強であった。
そんなもんだから、勉強頑張った、勉強ばかりしてた、みたいな話を面接でもしたわけだが、企業側の反応は素晴らしいくらいに二分された。一つは「勉強なんかしてたの?他にないの?」という学業否定派、もう一つは「どんな勉強してたの?面白かった内容は?」とガクチカ深堀り派だ。
前者はコミュ力重視のパリピ採用なのだろう。ほとんど2次面接まで進んだ試しがない。後者のほうが面接での戦績もよく、まあ最終的に内定がもらえるかどうかは別として相性が良かったように思う。
学生に勉学・学力を求めない会社でやるのは高卒の仕事
勘違いしてほしくないのは、僕は大卒が高卒よりも偉いなんていうつもりはないし、高卒の人がやる仕事をバカにする気も毛頭ない。ただ、大卒の新卒採用をしている会社のくせに、大学生に学業での頑張りを評価しないということは、実質的に求める能力に大卒レベルの学力が必要ないということだ。
よく、「大学の勉強なんて意味がない」というようなことを恥ずかしげもなく言い放つアホ老害がいるが、それは「あなたのやってる仕事が高卒レベルのもの」であり、「大学で学んだ知識、大学で得たスキルを利用しないで済んでいる」からだ。このようなアホが多い会社は、やれコミュ力だの、やれ潤滑油だの、やれ体育会だのいって、口だけ達者で、自分の努力不足を「容量の良い人間」だと吹聴する恥知らずで、ただの脳筋を好き好んで採用する。まあ別にアホ企業がアホを採用して、よりアホになっていくのは大いに結構だが、昨今の日本のいわゆる大企業様が起こすとんでもない不祥事、腐敗しきってもはや発酵までしてるんじゃないかと思ってしまうほどのどうしようもない企業体質をみていると、如何に基礎学力が大事か、向学心、向上心が重要かということを痛感する。
踊る大捜査線で「入試で遊ばず、死ぬほど勉強しておいてよかった」というセリフが出てくる象徴的なシーンがあるんだが、まさにこのとおりだと思う。まあ僕は入試で遊びまくったので痛い目にあっているわけだが(笑)だからこそ大学でその大切さに気づいたし、アラサーになった今になってもその気持は変わらない。
みんなも大卒の仕事がしたいのであれば、大学での学びを評価してくれる会社に入ろう。
餌がもらえるのをただ待っているだけの池の鯉になるな
さて、なんか頭がぼーっとしている上に大して書くこともないので、最後に社畜歴7年?くらいの僕の仕事哲学というか仕事観、キャリア観を垂れ流して終わろうと思う。
この世には2種類の人間がいる。会社の看板で仕事をしている人間と、その人自身の看板で仕事をしている人間だ。
多くは前者に属する。三菱商事の○○さんだから、取引をする、ジャニーズ事務所の✕✕くんだから応援する。
こういう人らは、自分がすごいと勘違いしがちだが、実際にすごいのは会社の看板であり、一旦この看板を取り上げられてしまうとただのおっさんになってしまう。イキってジャニーズを退所した人らが、ほとんど活躍できない惨状をみるとわかりやすいだろう。サラリーマンでもそんな感じだ。あなたがすごいんじゃない。あなたの所属している会社がすごいから取引をしているのだ。
しかし、世の中には「○○さん」というセルフ・ブランドで仕事をしている人がいる。例えが良い例かは別として人気キャバ嬢が挙げられる。彼女らは、お店が変われば、客も新しい店に集団移動をする。それは、客のカモたちはキャバクラに行きたいからではなく、その子に会いたいからキャバクラに行くのだ。したがって、お目当ての嬢が転籍したらみんなでブヒブヒ言いながら一緒に移るわけだ。同様にしてリーマンの中にも、「○○さんから買いたい」、「○○さんがいるから取引している」というように、その人のブランドが会社の看板を凌駕している時がある。まさしく看板娘的な存在だ。こーいう人の価値を会社が正しく理解していないと、さっさとより条件の良いところに移られて、取引先も同時に失うことになる。
幸か不幸か、僕はこれまで世界的にはそこそこすごい会社だが、日本ではほとんど無名の企業でばかり働いている。だからほとんど会社の看板というものがない。したがって、会社のブランドに慢心することなく、自己研鑽に励まざるを得ない。僕が頑張ることによって、○○くんがいる✕✕会社、となればこっちのものだ。生まれながらにして大企業というものに縁がない。
池の鯉を眺めていると、彼らも僕の方に来て水面に近づいて口をパクパクしている。餌をくれと訴えているのだ。
僕たちリーマンも同じだ。努力をして、自分で稼ぐ能力というのを身につけないと、ただ口をパクパク開けて、毎月給料という餌をもらっているだけの存在になってしまう。それで良いというのであれば、大いに結構だ。
しかし、僕は人生にルートがいくつかあるのだとしたら、その中で一番すごい自分になりたい。餌をもらうのをただ待つだけの存在になるのではなく、腹が減れば自分で水中をぐるぐる回って餌を見つけられるような鯉になりたい。
君はどちらの鯉になりたいだろうか。